1964年東京オリンピック前後の日本の経済推移

『1964年東京オリンピック前後の日本の経済推移、恐慌状態が、昭和40年不況、昭和恐慌の再来、と呼ばれたことについて』

 

経世済民学の実践者、高橋亀吉さんの著書、「私の実施経済学」より昭和40年(1964年)前後の経済状況を抜粋。

当時は山陽特殊製鋼、山一證券などの大手企業が危機におちいり、文字どおりの半恐慌になった。
(山陽特殊製鋼:昭和40年3月倒産後、再建。山一証券:昭和40年5月、日銀特融を受け経営再建。しかし、再度経営難に陥り平成9年11月自主廃業)

このような恐慌状態となったのは、その基盤として、当時、設備投資が急速に起こり、その資金調達を短期借入金でまかなった、という事態があったからである。
企業、銀行ともに、長期性の資金を短期借入金でまかない、過度の借金をしてしまったのである。

しかし、当時、文字通りの半恐慌状態にまで日本経済を至らしめた責任の大半は、政府の現状判断の誤謬と政策の誤りにあった。
国際収支の赤字状態をそれ以前と同様な性格のものとみた結果、その実情を過度に悲観するに至ったのである。
つまり、昭和38年当時、国際収支が赤字になった、という事態がどのような意味をもつのか、という点に着眼することが、昭和40年不況を見る場合、もっとも大切な着眼点だったのである。

すなわち、昭和38年から39年にかけては、従来の内需中心から輸出中心の発展段階に入っており、ちょうどその過渡期にあたっていたのであって、これをかかるものとしてみるべきであったのである。
このように我が国経済の発展段階に大きな変化が表れてきたにもかかわらず、当時、多くの人々が従来の内需中心の発達時代の考え方でもって国際収支の悪化を見ていたことが、現状認識の大きな誤りを招くことになったのである。
わが重化学工業が輸出中心の段階に差し掛かっているにもかかわらず、輸入超過現象を内需中心時代と同じ性格のものとして見なしていたということである。

そのような見方をすれば、この輸入超過は国内の過剰消費によるものとされ、当然、消費を抑える、金融財政を引き締める、ということになる。
国際収支の赤字を改善するためにはまず国内生産、内需中心目的の生産、これを減らさねばならない。
その建前で、金融を過度に引き締めてしまったわけである。
当時の政策の誤りを当時の私の自著ではこう指摘している。

「今度の締め方は非常な間違いをおかしている。
というのは、昭和39年の秋ごろまでは、生産を減らさなければいけないと考えていた。
つまり生産が減って輸入が減るという形でなければ国際収支の改善はできないというつもりでやっていた。
生産が減るところまで金融を締めるというやり方をやったわけである。
ところが実際には輸出が非常に伸びてそれで問題が解決している。
それに輸出があれだけ伸びるためには、運転資金がそれだけたくさんいるわけである。
そこを、生産が減るまで締めた。
非常な締め方をしたのは明らかである。
日銀は、どのへんまで締める必要があるかという判断のモノサシで、非常なまちがいをおかした。
生産が減らなければ国際収支が改善できないという建前だが輸出が伸びているので、生産が減るはずはない。
ともかく、金融の過大な引き締めが、信用不安を起こし、前途不安を起こさせるところまでもっていった大きな原因の一つだと思う。
にもかかわらず日銀は、今までの過去一年余日銀がやったことがまちがいだった、ということを認めていない。
日銀の金融引き締め政策は、いまや国際収支の問題から企業の体質改善に観点を移しているともみられる。
経団連にも、これまでの放漫な経営を反省しなければということで、景気のテコ入れに必ずしも賛成しない意見がある。
だがそういう考え方がまちがいなので、恐慌状態までもっていってまでして、経営者のやり方を整理淘汰するというのは昔の金本位時代の考え方である。
ここで考慮を要するいま一つのことは、これまでの我が国の政策担当者は、設備投資の行き過ぎに対し、これにどうしてブレーキをかけるか、という体験しか持っていなかった、といって過言ではない。
つまり、財界が極度の神経過敏から、過度の前途不安に疲れ委縮し切った場合にどう対処すべきかについては、ほとんどしろうとに等しい。
この欠陥が事態をここまでこじらした根因である。」

同様のことが、残念ながらオイルショック以降においてもいえる。
というのは、当時の物価の大高騰は、国際的な原産品の供給不足、価格革命によって生じたものであった。
にもかかわらず、政府は、従来のインフレと同視して、これを国内問題として解決しようとした。
すなわち、周知のように、総需要抑制政策を行ったのである。
しかし、この物価高は決して国内で解決できる性格のものではない。
その重大な点についての認識を欠いて、いたずらに金融引き締めを続行し、必要以上に深刻な、かつ長期の不況を激成して今日に至っている。

このように経済基盤が大きく変わる転換期において、いち早くその変化に着眼し、その本質を正確に把握することがいかに重要なことであるかを、以上の現実の諸例が、あらためてこれを雄弁にものがたっているといえるだろう。

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以上「私の実践経済学」(1976年1月10日:初版 2009年1月2日:27刷) 116p~130pより要約抜粋

昭和37年~39年の国際収支の推移 (単位:100万ドル)
※△は支払い超過を示す

暦年          経常収支
37年 Ⅳ    ・・・    204

38年 Ⅰ    ・・・    △251

   Ⅱ    ・・・    △241

   Ⅲ    ・・・    △159

   Ⅳ    ・・・    △129

39年 Ⅰ    ・・・    △542

   Ⅱ    ・・・    △275

   Ⅲ    ・・・    51

   Ⅳ    ・・・    286

高橋亀吉さんの言ってるのは、上の国際収支推移で分かるように、経常収支が先行投資的マイナスによる支払超過であって悪いものでない好転してくる、というわけで昭和39年Ⅲ期から好転してきた。
しかし、これを政府や日銀は、企業が馬鹿ばかりで経営下手揃いだと勘違いして金融を引き締めた。
企業は借金して先行投資してたから結果が出るまで金がない、しかし結果が出てきたのに引き締められたから恐慌に突入した、ということなのだとわかる。

というわけで、現在の経済状況とは違う点もあり、しかし重なる点もあると思う。
ただ、結局は政府も日銀もたいしてあてにならないし反省も謝罪もしない。入ることはできるが出口が見つけられない、散らかせるが片付けられない。
だから、大本営発表を鵜呑みにせずよくよく注意することが大切ということだと思う。

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投稿者:一般国民
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